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こだまみなみ抒情音楽塾

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こだまみなみ抒情音楽塾

文:こだまみなみ

「ゆきぐに抒情歌」:こだまみなみ抒情音楽塾の理念

こだまみなみ抒情音楽塾の理念ゆきぐにの暮らしのなかでは、銀色に光る粉の雪が降り積もるころから、やがて風花に変わり、南の風がそよぎ、陽炎おどり、雪溶けの清流が生まれ、眠りから目覚めた山や川、ブナ林や田畑を潤す。木々が芽吹き、かたくり花が咲いて、惹かれるようにして、その狭間から小っちゃなトカゲやへびの子どもも這い出てくる、こうした自然界の酷しくも温ったかそうで、美しい営みの風景が、ゆきぐにでのやすらぎの抒情であり、古里への愛着というものでしょうか。

一方では、うたう歌として、学校には校歌があり、市に市歌、企業に社歌、そして国には一応国歌があり、また、それぞれに応援歌もあります。ですから、お家には、お家の「家歌」があればもっとよいですし、できたら代々、脈々と歌い継がれるべき「そのお家の、絆としての抒情歌」であれば、尚すばらしいな、と思います。

今の時代で、ある一家の家族では、祖母が○×教、父は○洞宗、母は△▽学会、長男の自分は福沢偏向教、3人の姉妹がキリ○○教、ですと言う。これで果たして一家の統率が取れ、こころがつながっていくのでしょうか。国であれば経世済民が、ですよね。予てから私には、どこか少し、こころのなかに違和感と危機感を覚えておりました。教育、お金、飽食、大地の荒廃、情報の渦、物質主義、大量廃棄、若年層の選挙棄権等々、平和で自由過ぎるこの国のどこかが変質?を始めているのでしょうか?

そこで、こだまみなみ抒情音楽塾は、楽典としての音楽理論やもっと大切な演奏技術などテクニカルな分野のなすべき術の事は、先達塾や学校にお任せし、持って生まれ出たそれぞれの人間としての心根、換言すれば「個性、孤性、古性」などの感性について、古来からのわらべ歌、子もり歌、万葉歌などの言霊としての叡智を拠り所に、ことばとしての詞を研究(創作、朗読、曲付、歌い込み)しながら、それら抒情感ある詩歌をうたい継いで、人生の路々あるいはまた後々、幾つになっても、そして、種々の逆境に身を置いたときにも、童心と自分を失わない、人間くさい情操とこころの在り様を、独自のものにして持ち続けていって欲しい、との信念のもとに、「こだまみなみ抒情音楽塾」としたものです。

「人生の抒情詞」:こだまみなみ音楽塾

抒情音楽に惹かれ、いつからともなく、ごく自然に、恰も抒情歌に寄り添う様な感じの親しみを持ちながらおとなになり、そして歳を重ねてきたのかな、との想いがあります。

私は好きな詞との出会いのなかで、たとえば藤村の「椰子の実」は、私自身が、わが身を異郷の逆境に置かざるを得なかった頃の想いとか、また白秋の「砂山」は、子どものときに姉とよく川原でグミを食べて遊んだ想い出などとともに、いずれも遠いころの母なる海への、それももっと雪の少ない海への想いとを、重ねあわせて、あの深い味わいある詞のこころに浸るとき、それは幾つになっても、これから先もずーっと、その抒情感に胸打たれ、詩的な精神を揺さぶられ、新鮮な感じの創作意欲をかきたて続けられる想いなどで、実に私にとっての「人生の抒情詞」そのものであることに相違ありません。

私は世間的にはどちらかと言えば余りなじみ少ない、と思われる行政書士・企業コンサルタントをなりわいとして、これまで表向きは、筋金入りの合理主義者を標榜して来ているので、内心では抒情、唱歌好みということに、忸怩の思いが、この今になっても、正直にあります。

それは、「モーレツからビューティフルへ」と云った高度成長を揶揄するかの、キャッチコピーがはやった頃に、多感な青春時代を過ごし、パワフルなエネルギーとしての青春を効用しながら動いてきた世代のためか、私の場合には、事業の仕事に埋没するなか、反面的と言うか、どちらかと言えば童心的な抒情音楽に勁く惹かれ、表向きは合理主義者を標榜してきたこととは、その心情たるや、まさに二律背反、盾と矛であり、いまだその思いは氷解できておりません。

然しながら、私は評論家じゃないし、また安易に評論家にくみする柔わな人間では決してないのであって、かの宮沢賢治だって、食うために採石業をなりわいとして営業していた時代があったと言うくらいだから、人間には、多少なギャップや二面性があったとしても、こうした詰まらない事には、いっさい頓着せず、禅の世界じゃないけれど、みんな受け入れてしまって、さっぱりと、気持ちを軽くすることにしたのです。

「私の中の抒情歌」:こだまみなみ音楽塾

私の曽祖父にあたる児玉音次郎は、戊辰戦争に従軍し、命拾いの苦戦を強いられたことなどが、隣の川西町の民俗研究家金子幸作氏の著書に出ていますが、曽祖父は尺八が趣味で、よく虚無僧姿になったものだ、と聞かされています。母方の祖父・清治は、天理教の宮司で、雅楽(神事の時)でした。祖父はいつも家を留守にしてばかりいて、母は困ったらしいですね。そこで父が婿に入ったのです。

私の中の抒情歌といえば、極く幼な子のころ、ふとんのなかで、聞こえてきた歌があります。その詞は、当時の私には、ほとんどが意味不明のものでした。「うみゆかば みずくかばね・・・ おおぎみの・・・」。それは、大東亜戦争当時、海軍で南方に出征し、右足の親指を失ったが復員できた父が、夜なべの藁仕事のときよく口ずさんでいたうたで、随分経ってから、童心ながらも崇高なるその抒情を理解でき、こころの奥深くを揺さぶられた記憶が、思い起こされます。

「機織娘」だった母は、小声でいつもよく次の歌を口ずさんでいました。わりかし、きれいな声してまして、私が生まれるかなり前の昭和15年の歌ですが、子守唄の様に聞こえていたので、今でもこの詞をよく憶えており、91才で亡くなった母をしのぶとき歌うこともあり、今のからおけでもナツメロ定番でありますね。

高原の旅愁

*著作権法第32条で引用 (詞:関沢潤一郎)

  1. むかしの夢の 懐かしく 訪ね来たりし 信濃路の
    山よ 小川よ また森よ 姿むかしの ままなれど
    なぜに 彼の君 影もなし
  2. 過ぎにし夢と 思いつつ 山路下れば さやさやと
    峠吹き来る 山の風 胸に優しく 懐かしく
    明日の希望を 囁くよ

私がうまれ育った中魚沼郡吉田村稲葉は、まったくの純農山村。なりわいは、ほとんどが百姓と、冬は出稼ぎ。父も東京の手ぬぐい屋に出ました。私が住んでたのが、稲の葉っぱと書く「稲葉」と言う土地(70戸位)です。私は子どもの頃から葉っぱ好きで、自分できれいな葉っぱを取ってきては、これを張り合わせ、独創的な「パッチ」(面子)にして、小っちゃい妹をおんぶしながら、そのパッチで遊びましたね。
私の童謡詞「あか あき はっぱさん」は、そうしたときの想いもあってつくりました。

童謡詞「あか あき はっぱさん」

こだまみなみ 作詞

  1. あか あき はっぱさん
    おやまは にしきに かがやいて
    ゆうやけ そめてる はっぱさん
  2. あか あき はっぱさん
    あかいみ きいろみ みのらせて
    ことりら あそばす はっぱさん
  3. あか あき はっぱさん
    をどりのように まいをして
    ほんとに ことしも ごくろうさん

そこの稲葉の「平ら林」という小高いところに、我が家も山と畑があり、父も母も、わが子をこき使うのが当たり前の時代。その畑を迀なう度に縄文土器のかけらがいっぱい出てくるので、そのかけらを、石と共に拾い集めて、林の中に捨てるのが、姉と私の仕事でした。どの家の子も、やま蚊にくわれながら、草取りや水くれをするのが常でしたから、私も、姉とともに、唱歌をうたいながら、いっぷくのときがくるのを楽しみとして、手伝いをしたものです。

稲葉には処々にブナ林があり、また星がきれいで、今ではその近くには『星と森の美術館』ができて、地域文化におおきく貢献されておりまして、大変有難く思っております。ふるさとのブナ林と、星空と、稲の葉っぱ は私にとって、原風景の一つです。ほんとうに自然は抒情であり、音楽そのものなのですね。なお、この稲葉から、日本国画院会長として活躍した日本画家児玉輝彦画伯(1898~1992年)が出ており、他にもその道の功労者が多くおられます。

私は、吉田小学校3年から6年までの学級担任の先生が、ずっと同じ音楽の先生でした。いつもひげのそりあとを青々として今思うと清涼感のある男の先生で、あだ名がひげとつけられていましたね。

ハーモニカ少年だった私は、器楽合奏練習を一生懸命やりました。よその学校での発表会によく演奏に行き、そのときの定番が、ユーモレスクに始まり、故郷のひとびと、ドナウ河のさざなみ でした。いま、私がピアノで弾く最も好きな曲は、故郷のひとびと です。

「詩情への想いと詩人への遍歴」:こだまみなみ音楽塾

私が、詩について想いを至すとき、中学生の頃にどっぷり浸かりきって、幾度ともなく、読みふけり、ノートに書き写したりしていたのが、堀辰雄の全小説(当時は文庫)と、詩集でしたね。

なかでも次の詩は、殊に強烈でしたし、風立ちぬの高原のサナトリウムに憧れ、何ともないのに肺結核の検診を受けたりもしました。

僕の骨に とまってゐる
小鳥よ 肺結核よ
おまへが嘴で突っつくから
僕の痰には血がまじるおまへが羽ばたくと
僕は咳をする
おまへを眠らせるために
僕は吸入器をかけよう

高校の時は、2年で文芸部長に立候補推薦を受ける等でしたので、文芸誌『緑苔』の常連で書き続け、ランボーやリルケにかぶれ、やはりハイネにも、でしたね。その後、日本のものでは、伊藤整詩集(雪明りの路、など)を最もよく読みふけり、その次が高村光太郎から今様の新派詩人への詩集でしたね。

ソネット「ゆきぐに抒情」

こだまみなみ 詞

  1. ゆきぐには あなたの こころのふるさと
    いつか 逢えるよろこびに 胸ふるえる
    南の風に乗って 木立のかなたから
    春を告げる かっこうのしらべ
    天空に舞い上がり うたい続ける若ひばりたちよ
  2. 雪どけの 息吹を湛えたうおのの川の 清流を眺めている
    あなたが 好きでした いま 私はその川辺に
    佇んで あなたとの幸せのときの想いでを 追っているのです
    これから 菜の花に縁りどられた 河畔の小道を
    ひとり静かに歩きながら 六万騎山城跡へ向かいます
  3. うおのの橋のたもと辺りで 近くの小学校から 太鼓の音が
    ひびきます ゆめなつかしい おみじょう太鼓ですね
    はるかかなたの あなたにも 聴こえているでしょうか
    やがてくる 七夕と ほたるの季節を 待ちましょう

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